いつまでも変わらぬ愛を

我が子は一人っ子だが、その前にこの世に出られなかった子どもたちがいる。
関西に帰ってくる前は毎月、水子供養で有名なあるお寺にお参りにいっていたのだが、関西に帰ってきてからは行ってはいない。
この数ヶ月、織田哲郎のいつまでも変わらぬ愛を、をよく聴いている。
この曲は、織田哲郎が亡き兄に贈った歌だ。
てっきり恋の歌と思っていただけに、よく聴いてみると、たしかに恋愛の歌とは言えないことにうまいなあとうなってしまった。
さて、我が子だが、昔から、飲み物を少し残しておくくせがある。
癖というか、本人曰く飲み干せないらしい。
私も妻も、それを本人は意識しないのだが、亡ききょうだいたちに残してあげていると思いこんでいた。
そうおもいたかったと言い換えてもいい。
そんなことをする我が子も家を出た。
今我が家には、ペットボトルに少しだけ飲み物を残すものがいなくなった。
そして私自身も、彼らきょうだいたちのことを思い出すことがなくなってしまった。
いつまでも変わらぬ愛をという歌をなぜか思いだし、聴くたびに我が子が亡ききょうだいたちに感謝の念を抱き続けているか気にはしていたが、本当に気にしてあげないといけないのは、親である私なのだ。
この世に生を受けられないと知ったあの日、そういうことが続いた時の悲しみは一生忘れることはない。
君らが、我が子のラグビー生活を支え、大学も志望校に入れてくれたんだよね。
私も妻も、そしてわが
子も、君たちにいつまでも変わらぬ愛を贈り続けるよ。
生とはなんなのか、自分は親になる資格がないのではないか、本当に悩み、もう子どものいる生活なんて想像もできなくなっていた。
今は認知症で、もはや私をも認識しなくなった母は、我が子が生まれた時に、実は毎月種貸さんにお参りしていたということを知った。
なんだか、最近のわたしは、感謝するということを忘れていたように思う。