鼻持ちならない奴という自覚

誰でもそうだと思うが、人にはいくつもの顔がある。
仕事用の顔、家庭での顔、気が置けない仲間たちとの間で見せる顔。
最近思うのは、気が置けない仲間と思っていた人たちに、わたしはどうやら、鼻持ちならない奴と思われているらしいということ。
本音を言うとえらそうにといわれ、私にとっては至極当然のことを、おまえがいうたら他人は自慢にしか取らない、などなど。気の置けない仲間同士に上も下もないつもりで接してきたが、あまりにも直接的な物言いが疎ましく思われているようだ。あるものは大手の企業の部長だし、また部長ではないにしろ、多くの部下を持っているものもいる。
彼らにとっては、何をいっても俺様にそんなえらそうにいうなと思われてるんだろう。
こっちは仲間がそんなにえらくなって本当にうれしいと思っているのだが、相手にとってはおまえにそんなことを言われるのがおれを下にみてる証拠やんなということになる。

そうでない仲間もいるけれど、そいつはこのコミュニティとはあからさまに距離を置いている。最近その気持ちがよくわかる。
サラリーマンと自営業者の常識や慣習の違いもあるし、もう三十年以上勤めている組織の垢が身についてしまい、それが取れなくなっているやつもいる。
困ったことは、他人からみればそれは垢以外何物でもないのだが、本人が自覚できていないところだろう。

いままで、かれらに対して分け隔てなくつきあってきたことが、大きな欠点となってしまっている。
みんな仕事のストレスなどで大変で、定年を迎えれば、また元に戻るのかもしれない。
いまは子どもがどこの大学にいっているということが、旧友と会うときに大きなストレッサーになっているみたいだ。やがて、どこに就職したなんてことがストレッサーになるんだろう。
その次は結婚、相手がどんな人でとか。
落ち着くのは65ぐらいからだろうか。
それまでは安易に個人情報を話したり尋ねたりしないことを自覚しておいた方がいいだろう。
そんな上辺だけのつきあいだったとは、残念至極。
生きるということは難しい。