花園準決勝 雨 熱戦 というキーワード

私の記憶の中でタイトルの3つのワードで出てくるのは

1979年度の国学院久我山大阪工大高です。

雨ではなかったけれど、前日の雨で泥田のようなグラウンドでの花園。

久我山は現ジャパンの田村のお父さんがキャプテンでスタンドオフ

組んでいたハーフが153センチながら高校ジャパンだった荻窪

ナンバーエイトが現久我山の監督の土屋謙太郎(ドコモの土屋の父)。

対する大阪工大高の目玉はナンバーエイト高田建造(健蔵)。

フランカーに広瀬、フッカーに田井(のちの同志社主将)という仕事人とロックに柳・塚本というツインタワー

センター東田、FBが仲宗根(現サントリーの仲宗根の父)。

高田建造のサイドアタックを止め続けた久我山

結果は3-3の引き分け。

抽選で久我山が決勝に進むのですが、

抽選直後、泥田の花園で呆然と立ち尽くす工大の田井キャプテンの横で泣き崩れる高田建造のアップ。

印象的でした。

この当時、同点の場合の抽選は、ノーサイド直後にグラウンドで行われていましたが、

この抽選がきっかけで、同点の場合は一呼吸おいた後、別室で抽選が行われるようになったという歴史的な一戦なのです。

なお、この時の大阪工大高は2年生10人という若い布陣。

翌年平尾率いる伏見工業に惜敗しますが、この年、伏見工業は久我山に準々決勝で8-26で大敗しています。
(文中敬称略)